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2014年10月13日 (月)

十月大歌舞伎 昼

やあやあやあ台風がやってきた。というのにおさると歌舞伎座へ。今月は勘三郎追善なので、昼も夜も奮発。最前列で堪能してきました。そしてどんなに勘三郎さんのことが好きだったか考えました。むちゃくちゃ中村屋兄弟を応援しています。
野崎村から。昨年福助さんのお光の時に、七くんのお染ちゃんの達者さに驚きました。梅の木の横で背中をみせている様子の美しかったこと。今回は、お光ちゃん。久松が大好きで、ウキウキしながらなますを作っているところの可愛いここといったら。大根を一切れ切る度毎に、照れたり喜んだ値ぽーっとしたり。可愛い&うまい。お染ちゃんは児太郎くん。ずいぶんよくなってきているように思います。がんばれ。お染ちゃんが現れてからのお光っちゃんのやきもちのやき具合もかわいい。芝翫ちゃんも可愛らしかったなぁ。どうなるかわかっているので、おかしくって物悲しい。
久作は、彌十郎さん。富十郎さんのように普通にしゃべっているのに歌舞伎になる方です、この方も。 久作妻おさよが出る型は珍しいように思った。母は、わずらい弱った身体。目もみえないようだが、娘に祝言の装いを聞きうれしそうにするので、もうたまらなく悲しい。髪の様子を尋ねたり、裾模様のあの着物にしたのか質問に思い描く母のそばで、尼の姿になってしまったいるお光は、涙をこらえ微笑み応える。けなげさに涙が出る。母は歌女之丞さん。とてもよかった。
油屋からお染の母が迎えに来る。後家お常は秀太郎さん。こういう方が出ると、舞台にぐっと趣きが増す。駕籠と船に別れて油屋へ帰っていく2人を見送るお光っちゃんと父久作。視線を交わし、互いに呼びあうだけでもう言葉にならない。「嬉しかったはたった半時」がこんなにもしんみるするとは。とてもよい野崎村でした。七くん、すごい。
休憩をはさみ、今度は踊りが2番。さっき、久松でやきもきさせた扇雀さんの、近江のお兼。確かに、高下駄で縄を踏んだだけで暴れ馬を抑えちゃう力持ちの娘さんでした。かわいらしくもありました。
続いて、三社祭。悪玉と善玉の踊りは大好き。新開場の歌舞伎座で、 勘三郎さんと三津五郎さんの三社祭をみることを夢みていました。夢でいいからみたい。悪玉は橋之助さん。息のあう人と踊っているのをみてみたい。いいだろうなぁ。獅童さん、愛嬌はあるけどもっとがんまれ。
昼の最後は、伊勢音頭恋寝刃。いつも「ねばた」か、「ねたば」がわからなくなる。正解は「ねたば」。仲居千野で小山三ちゃん登場。相変わらず、開場中の人気をさらう。幕見したときも、しっかりと声が届いていました。桂三さんよりも。お岸に児太郎くん。がんばっています。梅玉さんの万次郎は、いいボンボンぶり。貢の勘九郎ちゃん登場。すっとしていい男です。最初はちゃんとやわらかみのある若者。忠義心があり、まっすぐだけど、若いからカーット頭に血がのぼりやすい。激昂していく迫力がありました。手のひらの上で操るように意地の悪い万野は玉三郎さん。えっ!玉さまがと驚きましたが、楽しそうにたっぷりと意地悪を披露していました。ありゃ太刀打ちできっこありません。独特の万野で面白かった。 いい塩梅のお鹿ちゃんでした。 お紺は七くん。美しい。出てきて、膝でそっと貢さんの背を押すしぐさにしびれます。自分がどう思われようとかまわずに貢のために尽くす。肝心の貢はちっともわからず怒りまくる。 それでも毅然としているお紺は美しかった。七くんの貫録のある美しさったらありません。すばらしい。 料理人喜助は、仁左衛門さん。流石!かっこいいところをさっと持っていきます。フっと見せる表情もいい。止まってちょっと振り返りクスっと笑って去るとか、身体中でかっこいいを表現できちゃう。
当の貢は、取り違えに気が付かずうっかり万野を手にかけてしまう。ふらっと現れたお鹿も手にかける。そこから奥庭へ。殺戮なのに様式美になる。関係ない人を殺しまわっているのに、そこにみどころがいっぱい。ザ歌舞伎です。 駆けつけたお紺さんに正気にならせてもらい、刀の折り紙をもらい、またまた駆けつけた喜助さんに、刀は本物だと教えてもらう。2品揃ったからは しぇーありがたい。 ありがたいじゃないよ、どうするのこの死体の山。調子がよすぎてちょっと面白いほど。歌舞伎ってすごい。結局は万次郎さまの為なのよね。自分の為にしていないってところもポイントかもしれない。
昼の部も夜の部も、みごたえがありいい大歌舞伎でした。ありがとうございました。

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2014年10月11日 (土)

猿之助奮闘連続公演 十月花形歌舞伎 昼

市川猿之助奮闘連続公演と銘打った2ヶ月公演のうち、新橋演舞場での十月花形歌舞伎 昼の部をみてきました。
まずは、市川右近さんの俊寛から。なんどみても俊寛が気の毒過ぎて、みたあと必ずくたびれる。寺子屋だって悲しいのに、何がちがうのでしょう。この後、俊寛僧都あの島でどうするのでしょう。瀬尾は、猿弥さん。横暴で ねちっこく ザ悪役でした。
その後は、三代猿之助四十八撰の内金幣猿島郡。きんのざいさるしまだいり。猿之助さんが娘 清姫と、右衛門尉藤原忠文の2役。それと双面道成寺での花子と狂言師。 夜の部とは役の数も全然違いますが、猿之助さんは何役も演じることの意味がちゃんとある役者だと思った。
いつもは、そんなに独り占めしなくても・・・と思ってしまう気持ちの方が大きかった。早変わりショーになってきて、せっかくので個々の役が荒くなってしまうように映るので。ひとつづつしっかり演じている時の方がいいのもったいないと。
金幣猿島郡は、四世鶴屋南北の絶筆となった作品だそうです。宇治にかくまわれている将門の妹の七綾姫。将門は謀反の末討たれたが、乳人御厨の歌六さんや将門腰元桜木の春猿さんらの主人への忠誠の強さは変わらない。ここの描き方がしっかりしているので、後の展開がよく効いてくる。歌六さんがいることで威力がです。ベテラン力ってすごい。米吉くんの将門妹 七綾姫は、大事にされてきているおっとり感が姫らしい。許婚である愛しい安珍は門之助さん。この人もこういう高貴なおっとりした役がよく似合う。 最初の亀ちゃん(猿之助さん)は、盲目になってしまった清姫。乳人御厨の娘で、乳人御厨はいざとなったら娘を七綾姫の身替りとして命を差し出す覚悟。恋がれすぎて盲目となってしまった清姫もその事実を受け入れ、覚悟して暮らす。いざ追い詰められ、身替りになろうとしたその時、命を奪うはずの刀が宝剣で、その上その刀の威徳によって目が開き、そのまたその上、目の前にいた安珍こそが、かねてより恋慕うその人であった。怒涛の展開。忠誠の強さをしっかり描いたあとのこの急展開の面白いこと。身替りなんて冗談じゃないわ! 亀ちゃんの清姫はぐいぐい迫り、七綾姫を追いやろうとさえする。命を断たれた清姫は、嫉妬に狂い蛇体と化す。そりゃそうだよなぁ。説得力のある変代ぶりでした。
次の亀ちゃん(猿之助さん)は、藤原忠文。七綾姫に恋し、入れあげ、一緒になれば将門を救ってあげるからと約束を取り付けたのに破られ、財を失ったあわれな男。また、米吉くんの七綾姫のせいで人生の狂った人です。眼の前に愛しの七綾姫があらわれたのに、また安珍実は頼光 と2人して逃げられてしまう。七綾姫に執心するあまり鬼と化してしまう。そりゃそうだよなぁ。こちらも、説得力のある変代ぶり。やがて清姫と忠文の霊は中空へ飛び去って行く。これは大詰が楽しみです。猿之助さんが演じる2役は、そうする意味がよくわかる。
中空へ飛び去って行く時に、宙乗り相勤め申し候。こういう時は、お安い上の方の席の方が近くに飛んでいく様をみることができてうれしい。
最後は『道成寺』もの。清姫と安珍ですもの。男女道成寺の趣向で実は狂言師升六とあきらかになる。これで忠文がでてくる。2人の合体する双面の趣向も含む大円団。よくできていて、面白かった。さすが猿之助。 先代の円熟期の芝居をそんなに見たことがないが、同じようにキラキラしたところと、当代らしいスマートさで、こんなに面白くなったのだと思う。

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2014年10月10日 (金)

十月大歌舞伎 夜

母と歌舞伎座へ。母のお誕生日月なので奮発。最前列で堪能してきました。
十月大歌舞伎 十七世中村勘三郎二十七回忌・十八世中村勘三郎三回忌の追善興行。夜の部を鑑賞。ロビーの左右にお二人の写真が。十七世は白いバラがお好きだったのでしょうか。お写真の前に白いバラと香が。十八世は秋草と手の像と香が飾られていました。実際に十八世が愛用されていた器だそうです。手の小ささにびっくり。この手でいろいろな所作をみせてくれていたのだなぁと。しんみりする。
夜の部は、寺子屋から。松王と千代に、仁左衛門さんと玉三郎さん。この夫婦と相対することで、より重厚感がでた。ベテランの威力ってすごい。心に沁みるすばらしい寺子屋でした。源蔵・戸浪夫婦の勘九郎さん・七之助さん夫婦の苦難や覚悟がたまらなかった。それを知ってみるから、幕開けの寺子屋の山鹿育ちの子供ら
のあどけなさがほほえましくかつ悲しかった。野崎村もそうだなぁ。
菅秀才の為に自分が鬼になってというのでなく、お主のために手を貸してくれ、その命を捧げてくれと小さな子供にまで必死に頼む。そのために巡る因果は、我ら夫婦が引き受け、背負っていくという覚悟にあふれていた。松王が首実検をする時、もし見抜かれたらば なっこの刀で よいな と何も言葉には出さず、源蔵は戸浪の手を握り、脇差をこっそり渡す。合い分かったと袖のしたに脇差を隠す。お互い顔もあわさずに。緊張感が溢れる。息を止めてじっと舞台をみつめる。源蔵・戸浪夫婦側に立っても気持が入るし、松王の側にたっても気持が入る。自分の大切な小太郎を、その首を討たせるために寺入りさせる。その寺子屋に、その首を見分にくる。さぁ討てという時に心の無言の叫び。奥でする物音に、流石に身体が反応してしまう様子がたまらなかった。千代は、自分に刀を向ける源蔵に必死に問う。菅秀才のお身替り、お役に立てて下さいましたかと。万に一つ手違いがあり未だ生きているのではないかと持ってはいけない希望を、自分で断ち切る。母の非痛な叫びがたまらなかった。千代に泣くなという松王。うちでさんざん吠えたじゃないかという言葉に労りがあった。かわす言葉ひとことひとことが重く、意味があり、心に沁みた。すばらしい寺子屋でした。

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2014年10月 3日 (金)

ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎

金曜は仕事帰りに美術館へ。上野の森美術館で開催の北斎展にいってきました。横浜駅に貼ってある北斎展のポスターの格好よさにひかれて。「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」。先月世田谷美術館でみたジャポニズムの絵画とその影響を与えた浮世絵をとりまぜた展示も、ボストン美術館展でした。どれだけもっているのでしょう、ボストン美術館。
そうだ、浮世絵って小さい作品でした。会場にはいると小さな作品に鑑賞者がいっぱい張り付いていました。その前にみにいったチューリヒ展が、大きな壁に大きな作品をかけ 非常に余白の多い展示方法をとっていたので、鑑賞のための行列がちょっと気になった。北斎の時代毎に展示。作品の背景の壁の色が濃い赤や青なので、イメージをコントロールされてしまいそうな気がした。上野の森美術館は、あまり好きな館ではなかったことも思い出す。北斎に罪はないけど、普通な展示に思えた。もったいない。
花鳥版画が並んでいるパートがよかった。バラは長春とかかれています。花の様子も、現在思っているバラとは異なる。江戸のころの花はこういうものだったのだなと楽しむ。色あいとなによりも花と鳥の配置のセンスがいい。すてきでした。

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2014年10月 2日 (木)

幕見三昧

まちきれずに幕見三昧。
十七世と十八世 勘三郎の追善興行でもある十月大歌舞伎をみてきました。
「伊勢音頭恋寝刃」勘九郎の福岡貢に、七之助のお紺。小山三さんの仲居千野は幕見までもよく聞こえる大きな声。言葉よりも、その抑揚の方が仲居らしさを感じる。しみついたものってすごい。万次郎さまは、梅玉さん。こんなふわふわっとした人の為に大量殺戮が。そういうぼっちゃんぽさがとってもよく似合っていました。お岸は、児太郎くん。急成長です。うまくなりました。芝居にちゃんと溶け込んでいます。 勘九郎ちゃんの貢は、若く性急で抑えがきかない。もと武士のプライドとか忠臣とかが暴走する感じ。今までみた貢は、そういうものを超越していたので若さが妙に目についた。難しい。でも年相応の貢なのかもしれない。大量に人を殺してもこれでお主が救えると喜ぶところに多少の狂気があって新鮮でした。あまりの展開に、いつもそういうもんじゃないでしょと思う。今回も。七くんのお紺は、揺らぎのない立派なお紺。出で、膝でちょっと貢さんを押す時の色気の貫録といったら。仲居万野の玉三郎さんのいじわるっぷりったら。ネチネチと違ういじの悪さ。この人がこういう役をと驚きつつ底意地の悪さを楽しむ。料理人喜助の仁左衛門さんといい、こういうご褒美があると芝居が厚くみえる。
続いて「寺子屋」を幕見。源蔵・戸浪夫婦に勘九郎・七之助。台詞がすーっと心に入ってくる夫婦で苦悩がよく伝わってきた。子供に手をかけるとあっては、その因果は必ず我と我が身にかえってこようという覚悟を表すところの意気込みがすごかった。歌舞伎をみはじめたころは寺子屋の良さがわからなかった。筋はわかるけれど理解できなかった。鑑賞を積み重ねていくと、こんなにも一挙手一投足の裏にある意味に胸がいっぱいになる。松王・千代夫婦の心情をみせない肝に対し、源蔵・戸浪夫婦の因果も死をも恐れない肝をみせる。そのやりとりは、攻略というものでなく、必死の祈りのようなものを感じた。玉三郎さんの千代が 一子小太郎を迎えにゆく。覚悟し お役に立ててばならぬが、万に一つ手違いがあり未だ生きているのではないかと持ってはいけない希望を少し引きずって訪ねているのかもしれないと思った。源蔵に斬りかかられ 菅秀才のお身替りになりましたかと問う。我が子のために、我が子の死を確認せずにいられない。細かくスイッチが入り、千代の心中の様々な面がみえた。いろいろな演じ方があると思うが、これもまたよかった。この2組の夫婦の組み合わせは、すばらしかった。感情を押し殺し、急場を救うために子を差し出す。持つべきものは子という重さ。抑えに抑え続け、ひと時溢れて男泣きをする。その抑えている様をみる方が辛く涙が出た。立派な松王でした。 源蔵・戸浪夫婦の熱さに、一緒になって胸を押しつぶされた。すばらしい寺子屋でした。涎くりは国生くん。まじめに一生懸命悪童を演じるところがほほえましい。必死さ満開の中、玄蕃の亀蔵さんだけがわかりやすい悪、カラリとしていてよかった。
一度出て、戻ってきて「鰯賣戀曳網」を幕見。これは別の意味で泣かされました。揚げ幕の内からであろう声「伊勢の阿漕が浦の猿源氏が鰯買えー」がした。あの「鰯買えー」の力の無いかすれた具合といい、間合いといい、声の高さといい、まさしく勘三郎さんでみたそのものなのだもの。幕見席からなので遠く 小さくみえるその姿のせいか、あぁ戻ってきた!というような、どうしてここにいないのしら・・・というような、切なくて なんだかよくわからない感情があふれるてきました。もう、いやんなっちゃう。 本当に。 自分がいかに、勘三郎さんが大好きだったかと思いしらせれました。そんな人がいっぱいいrたとおもう。 猿源氏の 大袈裟に動いても、自然にイヤミがなくて茶目っけがあってという勘三郎さんには及ばないものもありますが、これだけその心を踏襲できる人は勘九郎さんをおいていないと思う。「父だったらこうするだろうとか、せりふのひと言、間、空気といったものを意識していました」とインタビューで答えていましたが、せりふを言うたびに勘三郎さんを思い起こさせることになることは、もしかしたら勘九郎さんの壁になってしまうかもしれないとちょっと思った。それを乗り越えて進化するに決まっているけど。ああ、そうそう。こういう風になさっていたなぁと思いだしながら芝居を楽しむ。七之助さんの蛍火の浮世放れっぷりもよかった。玉三郎さんように別世界の生き物感が出ていました。たわいもないこんな話こそ、歌舞伎らしいおおらかで豪華で常識なんかふっ飛ばす威力を出すことが難しそう。きちんと歌舞伎でした。思い出しすぎて悲しくなったり、傾城ちゃん達を含め、みんなの目を見張る成長ぶりを感心したり、素直に楽しんだりと忙しかった。 最後に花道で 兄弟仲良くというか、2人でいちゃいちゃと引っ込む。七三で「いつまでも見守っていて下さい」と手をあわせていた姿をみて、またポロポロとしてしまった。
あーぁなんで追善なのでしょう。また舞台の上の姿をみたいなぁ。シネマ歌舞伎で会いにいこうかなぁとおもいながら帰路につきました。

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