幕見三昧
まちきれずに幕見三昧。
十七世と十八世 勘三郎の追善興行でもある十月大歌舞伎をみてきました。
「伊勢音頭恋寝刃」勘九郎の福岡貢に、七之助のお紺。小山三さんの仲居千野は幕見までもよく聞こえる大きな声。言葉よりも、その抑揚の方が仲居らしさを感じる。しみついたものってすごい。万次郎さまは、梅玉さん。こんなふわふわっとした人の為に大量殺戮が。そういうぼっちゃんぽさがとってもよく似合っていました。お岸は、児太郎くん。急成長です。うまくなりました。芝居にちゃんと溶け込んでいます。 勘九郎ちゃんの貢は、若く性急で抑えがきかない。もと武士のプライドとか忠臣とかが暴走する感じ。今までみた貢は、そういうものを超越していたので若さが妙に目についた。難しい。でも年相応の貢なのかもしれない。大量に人を殺してもこれでお主が救えると喜ぶところに多少の狂気があって新鮮でした。あまりの展開に、いつもそういうもんじゃないでしょと思う。今回も。七くんのお紺は、揺らぎのない立派なお紺。出で、膝でちょっと貢さんを押す時の色気の貫録といったら。仲居万野の玉三郎さんのいじわるっぷりったら。ネチネチと違ういじの悪さ。この人がこういう役をと驚きつつ底意地の悪さを楽しむ。料理人喜助の仁左衛門さんといい、こういうご褒美があると芝居が厚くみえる。
続いて「寺子屋」を幕見。源蔵・戸浪夫婦に勘九郎・七之助。台詞がすーっと心に入ってくる夫婦で苦悩がよく伝わってきた。子供に手をかけるとあっては、その因果は必ず我と我が身にかえってこようという覚悟を表すところの意気込みがすごかった。歌舞伎をみはじめたころは寺子屋の良さがわからなかった。筋はわかるけれど理解できなかった。鑑賞を積み重ねていくと、こんなにも一挙手一投足の裏にある意味に胸がいっぱいになる。松王・千代夫婦の心情をみせない肝に対し、源蔵・戸浪夫婦の因果も死をも恐れない肝をみせる。そのやりとりは、攻略というものでなく、必死の祈りのようなものを感じた。玉三郎さんの千代が 一子小太郎を迎えにゆく。覚悟し お役に立ててばならぬが、万に一つ手違いがあり未だ生きているのではないかと持ってはいけない希望を少し引きずって訪ねているのかもしれないと思った。源蔵に斬りかかられ 菅秀才のお身替りになりましたかと問う。我が子のために、我が子の死を確認せずにいられない。細かくスイッチが入り、千代の心中の様々な面がみえた。いろいろな演じ方があると思うが、これもまたよかった。この2組の夫婦の組み合わせは、すばらしかった。感情を押し殺し、急場を救うために子を差し出す。持つべきものは子という重さ。抑えに抑え続け、ひと時溢れて男泣きをする。その抑えている様をみる方が辛く涙が出た。立派な松王でした。 源蔵・戸浪夫婦の熱さに、一緒になって胸を押しつぶされた。すばらしい寺子屋でした。涎くりは国生くん。まじめに一生懸命悪童を演じるところがほほえましい。必死さ満開の中、玄蕃の亀蔵さんだけがわかりやすい悪、カラリとしていてよかった。
一度出て、戻ってきて「鰯賣戀曳網」を幕見。これは別の意味で泣かされました。揚げ幕の内からであろう声「伊勢の阿漕が浦の猿源氏が鰯買えー」がした。あの「鰯買えー」の力の無いかすれた具合といい、間合いといい、声の高さといい、まさしく勘三郎さんでみたそのものなのだもの。幕見席からなので遠く 小さくみえるその姿のせいか、あぁ戻ってきた!というような、どうしてここにいないのしら・・・というような、切なくて なんだかよくわからない感情があふれるてきました。もう、いやんなっちゃう。 本当に。 自分がいかに、勘三郎さんが大好きだったかと思いしらせれました。そんな人がいっぱいいrたとおもう。 猿源氏の 大袈裟に動いても、自然にイヤミがなくて茶目っけがあってという勘三郎さんには及ばないものもありますが、これだけその心を踏襲できる人は勘九郎さんをおいていないと思う。「父だったらこうするだろうとか、せりふのひと言、間、空気といったものを意識していました」とインタビューで答えていましたが、せりふを言うたびに勘三郎さんを思い起こさせることになることは、もしかしたら勘九郎さんの壁になってしまうかもしれないとちょっと思った。それを乗り越えて進化するに決まっているけど。ああ、そうそう。こういう風になさっていたなぁと思いだしながら芝居を楽しむ。七之助さんの蛍火の浮世放れっぷりもよかった。玉三郎さんように別世界の生き物感が出ていました。たわいもないこんな話こそ、歌舞伎らしいおおらかで豪華で常識なんかふっ飛ばす威力を出すことが難しそう。きちんと歌舞伎でした。思い出しすぎて悲しくなったり、傾城ちゃん達を含め、みんなの目を見張る成長ぶりを感心したり、素直に楽しんだりと忙しかった。 最後に花道で 兄弟仲良くというか、2人でいちゃいちゃと引っ込む。七三で「いつまでも見守っていて下さい」と手をあわせていた姿をみて、またポロポロとしてしまった。
あーぁなんで追善なのでしょう。また舞台の上の姿をみたいなぁ。シネマ歌舞伎で会いにいこうかなぁとおもいながら帰路につきました。
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