2012年4月14日 (土)

勉強会

久々の西洋美術の勉強会。わくわくと出かけてきました。今回は新プラトン主義。この考えを絵画で表した傑作 ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』と『プリマヴェーラ』についての講義。この講義を聴講するのは3回目くらい。なのに、またまたほーと感心してしまう。きちんと身につけていないことを申し訳なく思いつつも、何度も何度も聞いてやっとわかることの方が多い。さまざまな意味のあるモチーフを使って、見た目の美しさ以上の意味をそこに見つけ出す。こういう見かたができると絵画は百倍面白くなる。知りだすと、自分が知っていないということがわかる。フィレンチェでこの絵画をみたのはどのくらい前のことだろう。2枚横並びに飾られていたあの絵画は、思想を理解していなくても、美しくて大きくて印象的な作品だった。部屋にドーンと2枚飾られていた。今は直角に展示されているらしい。今、もう一回みたいなぁ。もっと知りたい。
久々の仲間との会食も楽しかった。こういう機会があることの幸せをかみしめる。大人になってから行った大学だからこそ、いい大人の仲間ができました。がんばってよかったなあ。

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2011年3月30日 (水)

描かれた時代の固定観念をふまえて絵画をみるということ

本日は、父上の誕生日なり。おめでとう。

今月初めに恒例の、西洋美術勉強会がありました。まだ、大地震のことなんて思いもしなかった頃。3月はじめなのに、もうずっと昔のことのようです。
この回のテーマは、「海外の社会的機能、19世紀フランスを中心に」。 知識というフィルターがかかると絵画のみえ方が変わるという講義。まず、作品をみる。そこへ絵画のスタイルという眼でみる。新古典主義のころのスタイルを知った上でみる。さらに、その時代の常識というフィルターをかける。これで見えなかったものがみえてくる。今の私たちの常識とはまるで異なるものを絵にもとめている。時代ごとに固定観念がある。昭和のころと平成の今ではまるで違う。それがヨーロッパで19世紀でなどといったら、違いははなはだしい。絵とはこうあるべきという固定観念を理解してみると、細部にいろんなメッセージがあることがわかる。知識というフィルターをかえてみると、絵画はもっともっと興味深いものになる。知っていいるのと、知らないのとではこんなにも差があるということを学んだ。
学ぶっていい。
終わってからは恒例の飲み会。楽しい話の合間に、芸術の話もでてきていろいろ聞くのが楽しい。2次会で今日の授業の内容について話しているとき、同じ話をきいているのに、まったく逆に解釈していたことに気がついて驚いた。(「この家庭の様子を描いた暖かい風俗画は、画家が1度めと2度めの結婚の間に書かれた作品である」というのを、実際に結婚している時には現実を思い知らされ暖かいものなど描くことができなかった、こういう家庭をと夢見て描いたと解釈した。正解は、実際に結婚している時には、幸せで満たされているので暖かい家庭の様子を描く必要がなかったということであった。) 夢中になって聞いていたのに・・・

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2010年10月 5日 (火)

少年よ大志をいだけⅨ

週末、友人の出演する狂言発表会へ。難しい演目でした。すごいなぁ。面白かった。

友人の出番までみて、恒例の西洋美術勉強会に出席。遅刻して出席。すみません。
途中からでしたが、今回も「ほほう」と感心しきり。今日の講義は「マネからピカソへ(絵画の革命)」。展覧会でよく眼にする機会の多い印象派前後の絵画の流れが面白かった。いままでに、なんども講義していただいていると思うのですが、今回やっと あーそういうことか!とカチっと腑に落ちた気がした。気がしただけでないといいけれど。
絵画として描く対象が天使・神・王など地位のある人物以外に移ってきた変革期のことはわかったつもりになっていたけれど、絵画の中の女性の視点をあわせて考えると、名をなした画家たちのすごさがなお一層わかった。自分がどう描くかということでなく、時代や、その時代の絵画の常識とも戦っていたのだ。すごい。
ますます、絵をみるのが楽しくなった。
終わってからは飲み会。貴重なお話をきいて興味深々となった後、先生と仲間と飲み会。幸せ。(昔は緊張して休憩時間に胃薬飲んでいたというのに。)楽しかった。

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2010年3月18日 (木)

少年よ大志をいだけⅧ

覚書
今月はじめごろ、西洋美術史 勉強会開催され ホクホクと参加。 緊張しなくなってきた。すごいぞ、自分。
すっかり定例となった 講義前の聴講側生徒による発表。 紅型についての卒論。面白い。そして、そのテーマとの運命も面白かった。 毎回思うが、ここに参加している人はいろいろと魅力的である。
その後、いつもどおり先生による講義。「絵画と写真」
「死と生」というテーマのときに、キリスト教以前と以後との違いに驚いた。BC、ADって分けるはずだと関心しきり。 今回は、写真というものが登場することによって、絵画におこった革命的なことについて学ぶ。こんなに違うとは。また驚く。
絵画というものは、宗教的な教えを表すものであった。そして王室などの肖像を描くという意味をもっていた。そこへ、写真が登場。 画期的に機械ではあるが、王室でないと持てないというほど高価なものではない。才能をもった人でなくとも、機械を操作することにより姿を写し取ることが可能となった。肖像画家たちのとまどいなんて、考えたことがなかった。 宗教画には、約束事が沢山あり、当時の人々は常識としてしっていた。 そういう約束事をうちやぶり、絵をかく意味を模索しはじめたころの作品としると、マネも、モネも、スーラも、ゴッホも、ますます面白くなる。絵画とは、筆の跡を 完璧なまでに残さないものという常識をうちやぶった筆づかいだったのか。 知るということは、実におもしろいことだ。 カラバッジョの映画で、宗教画のあの時代を少し感じたような気もする。 一度みたことのある作品を、もう一回みたい。ワクワクする。 
そして、自分の大きな壁である 人に伝えることについても、少しのりこえたい。 自分の中で、消化できていないからなのだろうな。さらっと紹介する。これが夢。

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2009年3月10日 (火)

少年よ大志をいだけⅦ

覚書
先週末、西洋美術史 勉強会開催。ホクホクと参加。
前回に引き続き、講義前に聴講側にいた生徒による発表。 ずいぶん立派で、面白そうな卒論だなと感心しきり。
その後、いつもどおり先生による講義。「神話画(恋愛がらみ)」
ギリシャ神話が浸透していた時代。絵の中には、ギリシャ神話のモチーフが沢山描かれている。キリスト教の布教が進み、ローマ公教に広がってから、倫理感が広がる。描き方に規制が入ることにより、いかにして盛り込むか、折り合いをつけるか、新たな方法が生まれる。そこを踏まえて眺めると、ますます面白くなる。入口に立ったかどうかぐらいのところにいるのだろうな。奥が深そうな世界である。
子供の時に読んだ、ギリシャ神話が読みたくて、探しているところ。どこで借りて読んでいたのだったかしら。学校の図書館かしら?近所の図書館かしら?岩波文庫のものも、手に取ってみたのだが、断然あの子供の時に読んだものの方が読みやすい。大きな本の全集で、赤い表紙だったはず。割と小さな字だったような。あれが、読みたい。
再び、ボッティチェルリのプリマベーラについて講義があった。ネオプラトニズムの回になるほどと思ったところで、またなるほどと思う。この間でなく、今回やっとわかった気がする。面白いなぁ。こんな沢山の想いをこめて描かれたものなのだなぁ。

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2009年3月 2日 (月)

手も足もでません

ストイキツァ教授の講演を聴講する機会を得たので、先日参加してきました。ちょっとでもわかればいいなと。そのぐらい慎ましやかに参加したのに、全く歯が立たなかった。うーむ。「集中そして/あるいは蒸発-肖像・自画像・<近代生活>」という公演。タイトルからたじたじ。
ヴィクトル・I.ストイキツァ教授は、注目される気鋭の美術史家だそうです。スイスのフリブール大学で近現代美術史の教授だそうです。ストイキツァ著『影の歴史』を読みかけつつ、出席。フランス語で教授が語ったあと、日本語で説明が入る。その繰り返し。 ちょっとわかるところがあり、むむむ?と引っかかっていると。次に進む。基本的な知識にかけるところが敗因マネとドガの肖像と近代生活というテーマだったので、面白かったのですが すぐに 本質をつかめていない気がしてくる。これ、しかるべき人がきいたら、相当ありがたい講義だと思う。もしくは、未来の(賢くなっている)私が。 でも、上の段階にいった授業を垣間見ることができたことは貴重な体験でした。
いつもは、泳いでいる時間。あれ?泳いでいた方が私のために(身体のために)なったかしら・・・と弱気にもなりましたが、自分自身を描くということでも、視点によりそんんなに違ってくるというところは興味がでた。 

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2008年12月 2日 (火)

少年よ大志をいだけⅥ

覚書
先週末、西洋美術史 勉強会が開催された。またまたホクホクと参加する。 この勉強会は、いろいろとためになる。西洋美術史についての勉強はもちろん、自分の弱さも しみじみ感じる場にもなっている。毎回 バカみたいに緊張し、委縮し、自信喪失する。とても楽しく、参加して本当によかったと思うのだけれども、そういう自分の弱さを 観察したりもする日となっている。
今回は、講義の聴講側にいた方が、逆にみんなの前で講義をするという新しい取り組みも開始。人前で話すことの難しさを、人ごとながら感じる。
カルロ・クリヴェッリという祭壇画の画家。日本では、名が通っていない。紹介されている本もなかなかない。ロンドンのナショナルギャラリーでカルロ・クリヴェッリのピエタと出会い、立ちすくむほどの衝撃を受けた筆者。私が紹介しないで、誰が紹介する!という情熱で書き上げた本。その本を出版した著者自らの話をきく。話をきいて、カルロ・クリヴェッリへ興味がわいたのと当時に、著者の情熱の傾け方にも興味がわいた。どんな風に追い求めたのだろう。どういう人なのだろうと。
惚れるほどの作品と出会うことのできた幸運がうらやましいと先生がコメントされた。面白いたとえで、愉快に聞いていたが、それは、とても心にひっかかるコメントであった。そのもののために、お金も、時間もつかって、それでも とことん つきつめてみたいものと出会うということは、幸せなことなのだなと。
その後、いつもの先生による講義。 「北方ルネサンス」、「死と生」、「西洋美術に見る影」、「ネオプラトニズム」、「自画像・肖像画」に引き続き、今回のテーマは「構図の時間軸」いままでのまとめのような視点で捕える。 ネオプラトニズムの回に、ボッティチェルリのプリマベーラについて詳しく講義を受けたのに、すらすらと記憶がでてこない。だいたいこんな感じという感覚・筋道は、覚えているのだけれども、それを人に伝わるように説明できるかどうかという違いは大きい。その壁を感じた。そして この作品をみたときの面白みが格段とあがった。
もともと、自分の好みを振りかえってみると、嫌いな絵画というものはない。興味深く見ようとは思わないものはある。けれども、嫌いと感じるものは特にない。 今は、好きな絵画、興味のある絵画がどんどん増えている。あれもこれも見たい。とにかく見たい。そういう時期なのかもしれない。 以前は、宗教画はどれも同じようにみえていた。まだ そんなにわからないけれど、モチーフの意味するものなど、興味ポイントが増えてきて、断然面白い。
自分の大きな壁は、人に伝えることが下手すぎるということ。面白さを知ったら、自分の好きな人には そのことを伝えてみたいと思う。自分の意見に同意して欲しいわけではない。紹介してみたい。けれど、これは難しい。押し付けるのでなく、小難しくなく、ただ まっとうに表現することの大切さ・難しさ。それを、しみじみ感じる。
「面白い」と思う。何がそんなに面白いと感じたのか、考えてみることが くせになりつつある。継続の先に上達があることを願おう。
この日、先生が共同で翻訳に携わられた ストイキツァ著の”A Short story of the shadow” 『影の歴史』(ヴィクトル・I.ストイキツァ著 岡田温司、西田兼訳. 平凡社) と、『カルロ・クリヴェッリ マルケに埋もれた祭壇画の詩人』(石井曉子著/講談社出版サーヒ゛スセンター) 2冊を入手。どちらも、サイン本♪ ホクホク持ち帰る。ゆっくり楽しもうと思う。

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2008年9月 6日 (土)

少年よ大志をいだけⅤ

西洋美術史勉強会開催ということで、またホクホクと参加。いつもながら緊張してむかう。そして、講義中は委縮。自信喪失しつつも、面白いなぁと感心する。今日、面白いと思ったことを 忘れないようにしたい。で知識として いつでもとりだせるようにしたいなぁ。
「北方ルネサンス」、「死と生」、「西洋日美術に見る影」、「ネオプラトニズム」に引き続き、今回のテーマは「自画像・肖像画」。これをしっていたら、あのヨーロッパでみた美術館の作品が何倍も面白くなるのになぁ。これからの人生でまたみるかも。楽しみに生きていこう。宗教画って面白い。自画像や、想像がをみる視点もちょっとつかみました。
今回も、素敵な先生に、出席メンバーに刺激を受けました。いつも、ここにくると思う。自分ではじめなきゃ何もはじまらない。はじめれば、なんでもできる。苦しんでも、学ぶための苦しみなら、悪くない。またもや前むきのマイチィ☆であります。

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2008年6月 8日 (日)

少年よ大志をいだけⅣ

西洋美術史勉強会開催ということで、土曜日に ホクホクと 参加してきました。いつものように緊張してむかう。いつの日か慣れるのでしょうか。
前回、クリムトでしたのに欠席しちゃったのが未だに残念。「北方ルネサンス」、「死と生」、「西洋美術に見る影」に引き続き、今回のテーマは「ネオプラトニズム」ボッティチェルリのプリマベーラと、ヴィーナスの誕生をみてネオプラトニズムについて学ぶ。フィレンチェで、見る前にこれをしっていたらなぁ。これからの人生でまたみる日があるかもしれない。そのときには、とびっきり興味深くなるだろうなぁ。
今回も、感心しきり。楽しかった。
そして、今日は英文献購読の勉強会にはじめて参加。昨日なんて目じゃないほど緊張。美術書って難しい。日本語でも、理解するためにはよく考えないとわからない。 脳のおとろえにがっかり。ほかの参加者の勉強ぶりに、努力と継続の力を感じました。できないながらも、勉強になりました。脳をいっぱい使いました。
先生が素敵だから、内気になっても続いています。
+αもあります。それは、出席者。いろんな刺激をうけました。なんでも、自分でやってみたらいいのだなぁ、勉強って。誰かに指示されてやるものじゃないのだな。続けていれば、学ぶことがくせになるのだな。うかうかしてる場合じゃない。知ることって面白い。苦しくて。ワクワクする。今、とびっきり前むきのマイチィ☆であります。

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2008年1月26日 (土)

少年よ大志をいだけ番外編

昨年から、西洋美術史の勉強会にまぜてもらってます。
今回は、大学のサテライトキャンパスにて大学主催の特別講義。またほくほくと受講してきました。勉強会の番外編。 久々にサテライトキャンパスへ。この建物にくるとなんか緊張する。(日にち・時間に問題がないか急に心配になったり、事前に予習してくるものはなかった気になったり・・・小学生の時のようなドキドキに襲われる。)今日も、無駄に緊張。聴くだけなのになぁ。自分が、あんがい小心者だなと思った。
今回のテーマは、『クリムトと世紀末ウィーン』先生によると、日本人はクリムトが好きらしい。しかも『接吻』を。(アムステルダムにおけるフランダースの犬に似てる。)クリムトには、いろんな作風があり、あのような金を多様する時期は、一時期だったそうである。彼が影響を受けた、同世代の画家の紹介により、クリムトの作風に変遷があったことがよくわかった。というよりも、知らなかった面白そうな作品が、まだまだ山ほどあるなーっと思った。あるに違いないとは思っていたけどね。ベルギーの画家クノップスも、オランダのトーロップも知りませんでしたが、気になる絵画でした。
質疑応答で、参加者から、ウィーンからの留学生から聞いたということで、美術作品の評判は高いが、それよりも、人として問題(女ったらし)と言う面の方に興味が言っているというコメントがあった。先生から、ウィーンに住むから、皆クリムトが好き・見にいくというわけではないと。クリムトの何かがあることは知ってる。でも、みんなが見にいくのが普通ではないと。京都の人が、清水や金閣寺に行くか?行くのは京都以外の人ばかり、案外行かない。それと一緒と答えたのが、ふるってました。なんだか、すごーく納得。ウィーンの人みんなが、オペラが好きか?といえば、オペラを聴いたことがない人がいっぱいいると付け加えてました。歌舞伎もしかりだなぁ。日本人だって、観にいったことがある人ほとんどいないし。(同じ人ばかりが行く。)能楽堂しかり。私も、相撲を見にいったことはない。月をみて、一句ひねってりもしない。そんなもんだなぁ。なんだか、妙に面白かった。
クリムトは、画家として生きていく前は、商業画家だったそうです。注文主の意向に沿ったものを、作品化できないと意味がないということで、本の装丁・アクセサリー等、装飾をほどこすプロだったそうです。とても成績がよい彼は、その道で成功したが、アカデミックな道に入る、時期があって、こんな画家の影響を受けて・・ 面白かった。
ちなみに、昨今公開になったクリムトの映画については、ひどい出来だと。あれでは、クリムトが気の毒とおっしゃった姿に、先生のクリムトへの愛情を感じました。(つっこみどころ満載らしい!)

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